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岸田さんへ。読書をしたけれど、感想文まで辿り着かなかったよ。

最近、猛烈に文章が書きたかった。
何事、と思う方もいると思う。安心してくれ、わたしもそう思っている。

多分、自己表現をしたいのだ。しかも、今世紀最大級並みの「猛烈」に。しかし、こころばっか発熱していて、肝心の文章まで辿りつかない、iPhoneのメモ止まりの日々。

伝えたいことがあるんだけれど、伝えることばを探していたら、いつの間にかその感情がどっかに行っちゃう、そんな感じ。自分の熱量が無くなると、いくらnoteにしたとしても、鮮度が落ちてしまう。そうすると、なんだか薄っぺらく感じてしまう。結局は、わたしの気持ちの問題。

そんなこんなで、結構、かなり、悶々とした日々を過ごしていた。


だから、という接続詞は間違っているのかもしれないけれど。読書感想文を口実に、文章が書けるというこの企画はわたしにとってwin-winだった。まず、締め切りがある。課題図書も決まっている。何より、読書の「感想文」。主人公は自分で、何を感じたのか書けばいい。そこにあるのは自由だ。

思う存分文章を書いてやるぜ!と意気込んでいたのに、なぜ。
時刻は18:54。しかも11月24日。締め切りは、21時。


なぜ。


まず、行動が遅かった。課題図書を購入したのは、昨日の夜。
そして、その後の行動も遅かった。読み始めたのが、今日の夕方。
やっと、noteに辿り着いた。もう、締め切りまで3時間を切っている。

「文章が書ける!やったね!」とか「win-win」とか豪語していた割に全ての行動がむちゃくそ遅い。いや、理由はあるんだ。先に、どうしてもやりたいことがあったのだ。でも、決してグリコのおまけみたいな感覚ではなく、優先順位をつけてだね。うん。優先順位のつけるタイミングが遅かったのかもしれない。

と、いうことで、読書感想文。学生時代ぶりの読書感想文、ここに開幕である(締め切りまで2時間を切った)!!!!!!!。

本は割と読む方。漫画も好き、哲学系の本も好き、自己啓発系も好き、活字も好き、とにかく「本」が好き。自分にはない、「感性」をくれるし「感情」をたくさんくれるから、とか言ってみる。実は、「なぜ好きなのか」とかそんなに深く考えたことは無く、理由も今思いついたものだけれど、でも、とにかく「本」が好きだった。

でも、「本」と呼ばれるもののなかで、ひとつだけ。個人的に、漫画や小説とは一線をひいていると思っているものがある。


それが、「エッセイ」と呼ばれる分野だ。


これは、もう、その人の「頭の中」にお邪魔させて頂いているみたいな。実際にお会いしたこともないのに、その人のことをまるっと知ったかのような、それこそ、近所のおじさんやおばさん的な、そんな、とても不思議な感覚になってしまう、とても素晴らしいものだと思っている。

そして、何より、否が応でもその人の人柄が出てしまう。
わたしは、そこに魅力を感じるし、「何を日々考えているのか」「どんな感じ方をしているのか」といいうのを文章を通して知ることが出来るというなんとも言えぬ背徳感、何より、著者の「どんな人なのか」に非常に惹かれる人間なので、「エッセイ」はわたしにとって、とても高貴な「本」と言えるのだ(漫画とかの「一言」とか、小説の「あとがき」がとても好きな人間です、同志はおらぬか)。

前置きが、思いの外長くなってしまって、肝心の何の本を読んだのか、題名すら出て来ていない。読書感想文といえば、一番最初に出てくるはずなのに。
でも、ここまで読んでくれたあなたなら、何の本を選んだかお気づきであろう。

今回、わたしが課題図書に選んだ本、岸田奈美さんの「家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった」である。ヨっ、高貴!


さて。
何を感じ、どのようなことを受け取ったのか、アウトプットしようと思ったのだが。

まさかの、


言葉が、見つからない。


大事件だ。もはや、読書感想文ですらない。大変だ。「エッセイ」についての魅力を語っている場合でない。大事なものが、ごっそりと抜け落ちている。というか、もはや応募資格剥奪では。あれだけ意気込んていたのに。

前々から岸田さんのnoteを読んでいたので、ほとんどが顔見知りの内容だった。「初めまして」というよりは、「お久しぶりです」といった感じ。でも、その都度、グッときて、ちょこんと付箋を貼りながら読んでいた。

書籍ならではの、創意工夫=愛がたくさん詰まっていて、怒涛の赤べこや、良太くんのノンブル文字、そして、幡野さんの章でまさかの幡野さんが撮った岸田家の写真が挟まれているという、サプライズ&究極のお裾分け。たまらなかった。

きっと、文章を抜粋した、とてもすんばらしいnoteがこの後、続々と排出されるのだろう。わくわくする。

だからかな。


言葉が、ぽーんと遊びにいってしまったのだ。


もはや、感想文ではなくなってしまった。情けない。

でも、ひとつだけ。
ひとつだけ、読んで、noteまでたどりついたわたしが思ったこと。

わたし、この「企画」という名目で、ただ、悶々とした気持ちを言葉にしたかったのかもしれない。ことばにする「きっかけ」を求めていたのかもしれない。

だから。
確実に「読書感想文」ではなくなってしまったけれど、「ことばにする」きっかけをくれた岸田さんと、この企画にありったけのありがとうを言いたい。

もう時間がない。これからも、ありったけの気持ちで応援しています。

#キナリ読書フェス